祝・新しき世界DVD発売/韓国映画の男たちよ幸せになれ
韓国映画は男たちになにか恨みでもあるんだろうか。
思わずそんなこと思ってしまうほど韓国映画は男たちに厳しいです。男にも厳しいけど、それよりもやっぱり「男たち」に厳しい。それも眩しいくらいに美しい友情を築いている男たちにとてもとても厳しい。
私が初めて見た「男たち」の韓国映画は「新しき世界」ですが、それを見てからというもの韓国映画の面白さに魅了されていろいろな映画を見てきました。と言っても数はまだまだ少ないですが。
ここではいくつか男たちの映画をあげてみようと思います。
「JSA」
「美しき野獣」
「義兄弟」
「友(チング)へ」
名作ばかりなので勿論ご覧になっている方も多いと思いますが、この辺りが私が見た中で特に「男たち」の映画だなと思ったものです。
そもそも「男たち」とはなんだろう、という話になると私個人の感覚なので説明が難しくなりますが、いろいろな要素が重なったときに私は「これは男たちの映画だ」と感じます。
まず一つめに、男が二人の物語であること。
JSAや友へは複数の男の話じゃないかということになるかもしれませんが、この二作も最終的には二人の話に集約されていっているのではないかと思います。
二つめに、序盤に友情を育む課程の描写があること。
後半に全力で崖から落とすために、だいたい映画の前半に崖を高く高くしておくのが特徴だと思います。音楽が必要以上にエモーショナルだったり、フォーカスがかかっていたりするとそれは要注意です。過剰なまでに美しく描かれるものはいずれ壊れる、これは韓国映画に限らないかもしれませんが、鉄板です。
三つめに、自分たちの力ではどうしようもない大きな流れにより関係が崩れ去る。
喧嘩別れだったり、どちらかが決定的に悪いというよりはあそこでああしていればよかったのにという確実な解決策がないことが多いです。つまり「出会った瞬間に詰んでいる」ということです。最終的に二人ともが幸せになる展開を考えると、二人が出会わないというルートしか考えられません。でも大抵の男たちはお互いに出会って心を通わせた時間が人生で一番幸せな時間だったりするので出会わないルートも選択できないという鬼畜っぷり。
四つめに、どちらかが死ぬ。
はい、元も子もない感じですけどこれ大切です。三つめに書いた関係が崩れ去るというのはどちらかの死によって訪れることが多いです。崩れ去ったと思いきや持ち直す救済系映画もありますが、だいたいはどちらかが死にます。
この条件が揃った映画を見ているとき、私はひたすらお願いだから幸せになってくれと祈っていますが、最初に言ったように韓国映画は男たちに無慈悲です。それに気づいてから私の祈りは「これ以上幸せになってくれるな」というものに変わりました。
ああ幸せそうだな……
人生のピークだな……
でも知ってるかな、その幸せは続かないんだよ……
だって韓国映画だからね……
やめて、そんな顔で笑わないで……
ダメ!幸せ感じたらダメ!そっちは崖しかないよ!
お願いだから!お願いだからこれ以上幸せにならないで!
なぜなら……
なぜならその愛は永遠には続かないから……
基本的に映画を見てる間の私の心理はこんな感じです。
生まれ落ちた罪、生き残る罰、私という存在、一瞬のトキメキ、永遠のサヨナラ……昔死ぬど聞いた歌の歌詞が頭の中に流れてきてそれと同時に目からもなにか冷たいものが溢れてくる、それが韓国映画の男たちの最期です。
出会わなければ最悪のラストは生まれなかったのかもしれない、でも出会わなければ人生の一瞬の煌めきもなかったのかもしれない。その場合、一体男たちにとっての幸せはどこにあるんだろう。
そんなことを考えながら、私は今も暗い部屋でこれを打ちながら「新しき世界」のDVDが届くのを待っているのです。
ビギナーによるビギナーのためのオススメ韓国映画 ①
みんなー映画は好きかー!
\おー!/
韓国映画は好きかー!
\お…?/
そんな人のためのオススメ韓国映画いくつかピックアップしてみました。ぶっちゃけ私が特に好きなやつを集めただけなんですけど。
ここ数年、韓国映画がヤバいって話は映画を好きな人なら聞いたことはあると思います。世界の映画祭で騒がれるような作品が増えてますよね。興味はあるけど何から見たらいいかって人がいれば少しでも助けになればいいなと思ってます。
そういう私もそもそも映画を見始めて日が浅いので、韓国映画にまで手を出し始めたのは今年に入ってからのレベルです。なのでタイトルにも免罪符のように書いておきました。どうも、ビギナーオブビギナーです。
それじゃ行くぜ!着いて来る気のあるやつだけ着いて来な!
監督:パク・チャヌク/製作:2000年
あらすじ:韓国軍を筆頭とした国連軍と、北朝鮮軍の兵士が共同で警備に当たるJSA(共同警備区域)において、ふとしたきっかけから許されざる友情を育む事になった南北の兵士達の交流と顛末を描いたフィクション映画。(wikiより)
ハリウッドでも活躍している名前があるのでそこに反応してくれた方も多いかもしれません。というよりこの映画自体が相当有名ですね。
パク・チャヌクは去年アメリカで「イノセント・ガーデン」を撮った監督です。世界的に注目されている韓国監督の一人で、復讐三部作(オールドボーイ、親切なクムジャさん、復讐者に憐れみを)が有名です。
この映画の見所はなんと言っても韓国軍のイ・ビョンホンと北朝鮮軍のソン・ガンホらによる友情が育まれていく過程です。
大の男が4人揃って子供染みた遊びに興じている様は本当に子供に戻ったように無邪気でとてもかわいいのです。夜ごと監視所に集まってカード遊びをしたりお菓子を分けたり女の話をしたり、まるで毎日が修学旅行のよう。
あのイ・ビョンホンがどこにでもいそうな、どちらかと言えば気が弱いような青年を演じているのも印象深かったです。人情味のある兄貴分のソン・ガンホも、見ているこちらまでヒョン…!と呼びたくなってくるほどに頼りがいがあってかっこいい。
永遠にこのまま続くはずのない関係だと分かっているからこそ、彼らが楽しそうにしていればいるほど見ているこちらは苦しい思いをすることになります。「出会わなければよかったのに」ものと言いますか、彼らの友情が深まっていけばいくほどに「やめて!それ以上幸せにならないで!」と叫びたくなってきます。
なぜなら、私たちはその友情に終わりがくると知っているから…
監督:ポン・ジュノ/製作:2006年
あらすじ:漢江から突如上陸した黒い両生類のような怪物(グエムル)は、河原の人々を捕食殺害し、露店の男カンドゥの娘、ヒョンソを捕まえて水中へ消えた。ヒョンソは怪物の巣の下水道から携帯電話で助けを呼ぶ。一方、在韓米軍は怪物は未知の病原菌を持ち、感染したとみられるカンドゥを捕えようとする。カンドゥと一家はヒョンソを救う為に追われながら怪物を探す。(wikiより)
はいまたきたソン・ガンホ。JSAがしっかりしたソン・ガンホならこっちはダメダメなソン・ガンホです。そしてこの父親と娘の組み合わせ、どかっかで見たことあるな?って思った人いませんか。そうですスノーピアサーで親子役を演じてた二人です。ちなみに監督も同じです。
名前の知れた韓国映画を見ようと思えばだいたいどこか早い段階でソン・ガンホにはぶつかります。避けて通れません諦めてください。
この映画、どこが面白いかって面白い映画の要素がこれでもかって詰め込まれているところです。大きく言えばモンスターパニックものですが、更にウイルスパニックものであり、父親による娘奪還ものであり、ダメな男が根性ふりしぼるものでもあるのです。
映画で見せてもらいたい要素が全て詰まっていると言っても過言ではないと思います。しかもこれだけ景気良く要素をぶちこんでいるのにどれも中途半端になっておらず、ちゃんと一つのお話として無理なくまとまっているのも素晴らしい。
また主人公が正義感溢れたヒーローでないのもこの映画の魅力の一つです。ソン・ガンホはくたびれた服とプリン状態の髪で父親の店を手伝いながら娘と暮らしています。すぐ居眠りするしお客に出すものをつまみ食いするし、娘の方が全然しっかりしているダメな男。でも一度娘のためとなればとにかく必死に頑張る。スーパーパワーを発揮したりはしません。ただ必死に頑張るのです。
今にも泣き出しそうな顔(実際号泣する場面も多いけど)で娘のために必死で走り回るソン・ガンホに胸キュン(死語)してみませんか…?
3. アジョシ(原題:아저씨)
監督:イ・ジュンボム/製作:2010年
出演:ウォンビン、キム・セロン、キム・ソンオ
あらすじ:元・特殊要員のテシク(ウォンビン)は質屋を営み細々と暮らしている。彼を訪ねてくる人は、質屋に物を持ち込む人と隣に住む少女ソミ(キム・セロン)だけ。ソミはテシクを「アジョシ」と呼び慕い、テシクもソミに心を開いていく。そんなある日、ソミの母親が犯罪事件に関わり、ソミも一緒に拉致されてしまう。テシクはソミを救うため、一人で組織に乗り込んでいく。(wikiより)
ロリコンじゃないよアジョシ(おじさん)だよ!
冴えない質屋の男が実はハイパー強い化け物で喧嘩売った方が後悔させられるハリウッドでよくあるアレです。どこの国でもそういうの好きだよね、そう思って見始めたのですが韓国はやはり少し違いました。
なんといってもアクションが凄い。主役のウォンビンが自ら熱望して出演が叶ったということもあり、ウォンビンはこの役のためにフィリピンの棒術やロシアの特殊部隊が使うような格闘技を修行したそうです。そうしてこの韓国の最終イケメン兵器ウォンビンが出来上がったのです。
最初に監督が書いた脚本だと主人公は引退して時間の経った60代の男性になる予定だったらしいのですが、上に書いたようにウォンビンの熱望がありそれにより設定を変更したそう。でもこれは間違いなく正しかったと思います。
実際起こっていることは残虐なのに、ウォンビンが演じることでスタイリッシュに見える。私が特に好きなのはラスト、主人公が17人の敵と闘うシーン。ここのナイフの使い方がとにかくかっこいい!表情ひとつ変えずに敵を殺しまくった主人公が自分を慕ってくれる少女にだけ見せる表情もまたぐっとくるものがあります。
アクションが好きならば見ておいて損はないはずです!バイオレンスが苦手だという人も、やってるのがウォンビンだと思えば多少中和されて見えるのではないでしょうか。そんなことないか。
グランドピアノ〜狙われた黒鍵〜
Grand Piano/監督:エウへニオ・ミラ/アメリカ・スペイン合作
ダラス・バイヤーズクラブを観たときに予告で流れて面白そうだな、と思い観に行ってきました。イライジャ・ウッドは「マニアック」で私の中の信頼できる男リストに入ってますし、なによりチラッと出る犯人役のジョン・キューザックの悪そうな顔がよかったじゃないですか。実は私、何故かキューザックに過剰に惹かれるところがあるのですが、それを話すと長くなりそうなのでやめておきます。
それで、「1音でも間違えたら殺される」という緊迫したフレーズに心惹かれて映画館に足を運んだわけですが。
これが予想を裏切ってすごいバカだった。思わず感想書きたいと思ってしまうくらい。
あらすじ:過去にミスをしたのをきっかけに舞台恐怖症になって5年間表舞台に出て来なかった主人公(イライジャ・ウッド)が恩師の追悼コンサートに引っ張り出されることになったが、いざコンサートが始まると楽譜に「1音でも間違えたら殺す」という脅迫文がありーーー
とざっとこんなお話です。
面白そうでしょう?実際とても面白かったです。でも面白さの方向性が想像していたのと全く別ものでした。
まず、主人公のイライジャは若い天才ピアニストでありながら過去のミスにより舞台恐怖症で、今回の追悼コンサートに来るにも「飛行機に不備があればよかったのに」「ピアノの調子が悪くて延期になればいいのに」「会場に着くまでに車が事故ればいいのに」と最後までぐずぐずしてます。
ぶっちゃけ映画が始まってから終わるまでイライジャは眉を下げて不安そうな顔をしてます。しかしこれはとてもかわいい。
コンサートでイライジャの弾くピアノというのが、恩師が作った世界に一つだけのピアノでですね、しかもなにやら大仰な仕掛けがあるらしいのです。
その仕掛けのためにイライジャを狙うのが犯人のキューザック。この犯人がね、もうホントすっげーバカ。
犯人の目的はイライジャに「ラ・シンケッテ」というイライジャにしか弾けないとされる超難曲を弾かせること。過去にミスして舞台恐怖症になるきっかけになった曲です。
この曲を弾かせるためにあの手この手で脅しをかけてくるキューザック。だんだん脅されてるイライジャよりもテンパってくるのが面白かったです。
「助けを呼んだら妻を殺す」と言われているのでなんとかしてキューザックにバレないように助けを呼ぼうと一人であたふたするイライジャが楽しかったですね。自分のパートが終わると突然舞台を降りて裏を走り回ったり、ピアノ弾きながら隠した携帯を操作したり。この辺りのあたふた感は完全に分かってやってるギャグで笑えました。
ピアノ弾きながらポケットから携帯取り出して楽譜の裏に隠してめっちゃキーを打ったりしてるんだよ。最高。あれだけ「どこにいても見える」とかどやってたキューザックがこの明らかに不審な動きを見逃してる辺りもバカでしたねー。
このキューザック、演奏中のイライジャにとにかく話しかける。「1音でも間違えたら殺す」とか言ってるわりにめっちゃ積極的にイライジャの集中力を削ぎにいくわけです。しかも最後にはついに「黙れ!」って言われちゃうしね。そりゃそうだわ。
弾く予定のなかった「ラ・シンケッテ」をついに弾く展開になるとキューザックの鬼コーチっぷりが炸裂します。「力が入り過ぎだ」「最後まで力を溜めておけ」「最後が肝心だ」こ、こいつうるせえ…
ピアノの演奏のことは良く知らないはずなのにインカム越しにめっちゃ指示出してくるキューザック。「お前のことは俺が一番良く知ってる」とか「俺のために弾け」とか言っちゃうキューザック。そしてイライジャに「観客のために弾く」とばっさり振られるキューザック。
お前…なにがしたかったんだよ…
いや、したいことは分かる。でももっと色々方法あったんじゃない?あ、あれか?世界で一人にしか弾けない曲って設定でテンション上がっちゃったのかな?
突っ込む所が多いというか、突っ込む所で構成されているような映画でしたが、本編が短いということもあり疾走感は最後まで削がれることはありませんでした。あと撮り方がかっこいいので話はバカなのにぐっと惹き付けられるシーンが何カ所もありましたね。もうそれだけで十分です。
コンサート中に起こってる事件なので、流れている音楽は全てコンサートで演奏されている曲ということになります。その音楽の盛り上がりと映画の盛り上がりが重なると観ていて気持ちよかったですね。
ラストは結構ばっさりと終わるので物足りなく思うかもしれませんが、私はいいと思います。ああいう切れ味、嫌いじゃない。
現段階今年最高のバカ映画、映画館で刮目せよ!
マーク・ラファロという海
マーク・ラファロは1967年11月22日生まれ、現在46歳のアメリカ俳優です。チャームポイントは熊を思わせるずんぐりとした体型と人なつこい笑顔でしょうか。
映画好きの方なら知らないはずがないと言えるほど、出演作品は多岐にわたっています。ハリウッドで活躍する傍ら、今でも出発点である舞台に立ち、最近では環境問題にも力を入れて取り組んでいるらしく社会派俳優としても知られてます。素敵。
私が初めてラファロと出会ったのは「アベンジャーズ」でした。ええ分かってます、遅いですよね。実はその前にシャッター・アイランドを見ているはずなのですが、全く記憶にありませんでした。
ともかく、初めてラファロをラファロとして認識したその日から、私はこの「顔」更には「体」の虜になりました。
アベンジャーズを見るきっかけは「映画(の男たち)との出会い」で書いたように私のハート泥棒ロバート・ダウニー・Jrが出演しているからでした。ぶっちゃけそれ以上でも以下でもありませんでした。
しかし、私はそこで運命を左右する出会いをしてしまったのです。
な、なにこのおじさんは……
なんていい顔なの……
えっちょっとやだ……
やだ……
やだーーーーーーーーー!!!!!//////
ハルク役のおじさんがマーク・ラファロという中堅俳優だと知ったのは映画が全て終わり慌てて買ったパンフレットを読んだときでした。
あなた、ラファロって言うのね、ふふっ、ラーファロ。
そしてそれからは暇を見つけてはアベンジャーズを見に映画館へ足を運びつつ、過去のラファロ出演作品を見るようになりました。と言ってもそれほど見てません。実はそれほど見てません。でも大丈夫、ラファロが好きって気持ちは本物。
ラファロの出演作品を見ていくうちに、気づいたことがありました。
あれ、この人ベッドシーン多くね?
そうなのです。マーク・ラファロはなんと良く脱ぐ俳優だった。しかも脱ぐだけじゃなくベッドシーンが多いのです。
ぱっと見てイケメンと言える風貌でもなく、特別体を鍛えているわけでもない。それなのにまあ脱ぐわ脱ぐわ。そして私は思ったのです。
マーク・ラファロは海だ。
うぃんどいずぶろうぃんぐふろむざえいじあ~らふぁろはうみ~
好きな男の腕の中でも違う男の夢を見る、そんな女たちを包み込むマーク・ラファロはまさに海である。
なんでこんなこと思ったかって、ラファロは映画の中で不倫の相手だったり一夜の相手だったりすることが多いから。つまり、アメリカ女性が一晩お願いしたいと思うような男であると言えます。
胸毛を蓄えた雄々しい胸に顔を埋めて一晩過ごしたい。それは全世界の女性の夢である。(言い切る)
そんなラファロは現実では女優の妻を持ち三人の子供に恵まれている父親なわけですが、それはそれとして映画の中のラファロは女性の夢を体言した海のような存在であるのは間違いないでしょう。
ラファロを海のように思っているのは私のような女性ばかりではありません。映画監督だってそうなのです。ラファロはインタビューの中で「監督は困ったら僕を呼ぶ」(超絶意訳)と言っています。実際、色々な監督と仕事をし作品ごとにキャラクターの違う役を演じて絶賛されているラファロ。彼の海の様に広い演技の幅は映画全体の可能性を広げまた包み込むのです。
はい、きもちわるいですね。
でも人を好きになるってこういうことじゃない?
現在、角川シネマでグランド・イリュージョンのエクステンディッドエディション版が公開中です。(突然のステマ)
それでは皆さん、今後もマーク・ラファロという海に包まれようではありませんか。ね。
ホラー映画が好きです。
「ホラー映画が好きです」
そう言うと高確立で「ああ、リングとか呪怨みたいに幽霊が出てくるやつね」と理解される。確かに、好きか嫌いかで言えばそういう映画も好きな部類である。
でも、ホラー映画は幽霊だけの舞台ではない。私が好きなのはホラー映画の中でも「スラッシャー映画」とされる種類の映画だ。簡単に言えば「殺人鬼大暴れ映画」だ。
誰しもが知っているところで言うと、例えば「13日の金曜日」や「エルム街の悪夢」がそれに当たる。ジェイソンやフレディといった化け物が次々に若者を殺していく、それを見て楽しむ。
私が好きなのは「ハロウィン」シリーズの殺人鬼、ブギーマン。上の画像はオリジナルのジョン・カーペンター版だが、新しくリメイクされたロブ・ゾンビ版のハロウィンが特にお気に入りだったりする。
ハロウィンの夜にブギーマンと呼ばれるマスクで顔を隠した大男がずんずんと迫ってくるのは恐ろしい。でもかっこいい。
こういったタイプの映画を好きな人は誰しも経験済みだと思うが、なぜか「どうしてそういう映画が好きなの?」という愚問を度々投げかけられる。
「人が死ぬのを見るのが好きなの?」「血を見るのが好きなの?」「人が苦しんでいるのを見るのが好きなの?」
私からすれば、これらの言葉はどれも間違っていてどれも正しい。
私が映画を見る理由の一つは「現実では見れないものを見せてくれるから」だ。現実ではお目にかかれないようなイケメン、絶対に体験できないような人生、ありえないアクションの連続。ホラー映画に出てくる殺人鬼もそのうちの一つだ。
「人が死ぬのを見るのが好きなの?」
勿論好きだ。でもそれは映画、フィクションの中での話。現実に目の前で人が死んで喜ぶはずがない、そんなの当たり前過ぎて言うまでもない。ホラー映画が好きな人がみんな現実にも人が殺されるところを見たい、もしくは自分でやりたい、と思っていると考える人がいるならそちらの方が現実とフィクションの区別がついていないのではないかと思ってしまう。
もっと言えば、ホラー映画は実に教育的だと言うこともできる。
ホラー映画に登場するのは大抵バカな若者だ。
これは2013年に公開された「キャビン」の登場人物だが、この映画の性質上、実に的確にホラー映画に必要なメンバーを集めてくれている。
ホラー映画でまず最初に殺されるのは金髪のビッチ。必然性もなくセックスシーンが出てきたら、次の瞬間には刃物を持った殺人鬼がどこからともなく現れてあっという間に殺される。
ホラー映画で生き残りたいのなら守るべき約束がある。「セックスするな」「ドラッグをやるな」「ホームパーティーで馬鹿騒ぎするな」「人の敷地に無断で立ち入るな」これだけ守れれば大抵は大丈夫。(これら全て破っても最強のカード「処女」があるがそれは今は置いておく)
私だって、全ての映画の残酷シーンを喜んでいるわけじゃない。娯楽として提供されていることが前提の残酷シーンだから素直に楽しめる。それに、ホラー映画に出てくる過剰なまでの残虐シーンだって暴力や殺人を肯定するものじゃ当然ない。
暴力はよくない。それを伝えるには暴力を見せるしかない。しかも凄惨に、痛々しく、現実的に描かないと意味がない。適当な暴力描写は逆効果だ。
ある日本の映画の中に、私の大嫌いなシーンがある。その映画の登場人物は「人はそう簡単に死なねえよ」そう言って金属バッドで人の側頭部をぶん殴るのだ。
アホか!死ぬわ!
こういうセリフを簡単に言わせる神経が信じられない。このセリフを考えた人は当然だが金属バッドで殴られたことも殴ったこともないんだろう。それなのにそんなふうに分かったような口を叩く奴、心底腹が立つ。暴力描写において、中途半端は悪だ。過激なくらいがちょうどいい。
私がよく考えるのはこの映画のセリフとは全く逆だ。つまり「人は簡単に死ぬ」
ホラー映画の中ではびっくりするほど簡単に人が死ぬ。でも現実に人は必ず死ぬ。ただそれは現実では目を逸らしたい問題だ。だから私はホラー映画を見る。なぜなら現実では見れないものを見せてくれるのが映画だから。
理解してくれとは言わないのに、なぜか自分が正しいと疑わない顔で「そういう映画を見るのは悪趣味だ」と罵ってくる輩がいる。
それならば言わせてもらうが「現実には起こらないものを見て楽しむ」ということではどの映画も同じだ。それなのにそこに暴力や人の死が絡むと途端に非難の対象になる。
私からすれば「平凡な女子高生が実は王家の血筋」だとか「冴えない女子がイケメンにモテモテ」だとかそういった映画の方が非現実的だし恐ろしい。
「殺人鬼が次々に若者をぶっ殺す」のも「男女の運命的な恋愛」も、私の中ではフィクションという同じカテゴリーに属している。どうせ同じフィクションなら過激で面白いものが見たいじゃないか。そうだろう。
だから私はホラー映画を見る。