2015年に観た今年公開映画まとめ
今年も色々面白い映画がたくさんありました。映画館にも自分で感じていたより多く通っていたので、公開順に観た映画をまとめてみました。
一言感想と、オススメ映画のタイトルの後ろには★マークをつけてみました。
続きを読む私の考えた最強のジョン・ウィック
ジョン・ウィック観てきました。
殺人マシーンの過去を一人の愛する女性のために封印した男が、あることをきっかけに完全復活する、というそのストーリーだけでも「私のための映画かな?私を呼んでるのかな?」ということで情報が出た今年の前半からとても楽しみにしていました。
予告が出てからはそれはもう期待値が上がりっぱなし。「人の顔面に至近距離で銃をぶっ放す映画に悪い映画はない」という持論が大きくプリントされたタオルを振り回しながら待ちに待っていたわけです。ちょっと待つのが長くて腕が筋肉痛になるくらい。
そしてやってきた公開日。夜勤明けという最悪のコンディションでしたが、Twitterの盛り上がりに背中を押されて映画館へ直行しました。
あっ、あーーーー!キアヌ!キアヌが!あーーーー!デフォー!デフォーが!撃つ!銃を!人の顔面に!あーーーー!投げる!巨体を投げる!キアヌ投げる!そして撃つ!撃つ!ナイフで刺す!痛い!痛そう!あーーーー!このホテル凄い!楽しい!デフォー!キアヌ!わんこーーーー!わんわんわん!!!
以上、映画を見てる間の私の脳内を文章に起こしてお送りしました。
た、楽しい……とても楽しい……
キアヌ演じるジョン・ウィックが漂わせる危うさと紙一重な脆さ。そして彼が一度は退いた世界へ再び戻ってきたことで広がる闇社会の波紋。なにより「これが観たかったんだ!」と満足させてくれるアクションシーン。
ここからネタバレになりますが、細かく私が好きなシーンの話をすると、ジョン・ウィックが地下室のしかもコンクリの中に隠した殺人マシングッズを掘り返すシーン。ここまでの決意で過去の自分を封じ込めたんだと思うと泣けました。他にもディナーの予約をするとやってくる昔なじみの「廃棄物処理会社」のおじいちゃんだとか、親友のスナイパーだとか、闇社会の人間大歓迎のホテルとか。あそこよかったよね、を言葉にすると書いててきりがないほどです。
でも、もしこうだったらもっと上がったんじゃない?と思う部分があったのも事実です。正しく言うと「もっとこうなら私が上がるのに」ということなので、ここからは私の個人的な趣味につき合ってくれる心の広い方のみお読み下さい。
それでは「私の考えた最強のジョン・ウィック」始まります。
「犬と過ごした期間短くね?」
なんとなくですが、私は勝手に犬はもともと奥さんが連れてきて前々から家にいるもんだと思っていました。ジョンは別に好きでも嫌いでもなかったけど、奥さんが死んでから愛する人を失った者同士、男一人と犬一匹で不器用ながらも世話をして寄り添って過ごしていた。本編通りに後からやってくるのだとしたら、時間を半年くらいふっとっばしていいので、犬が当初より大きくなっているとか、奥さんのお墓に散歩に行くのが日課になっていたとか、そして墓参りの帰りにあのチンピラに絡まれるとか、そっちのがより感情移入できるかなと思いました。
過ごした時間が短くても、犬を殺すこと自体は人間を殺すよりも五億倍くらい許せないことなのであまり問題にはならないのかもしれませんが、もう少し長く一緒に過ごして犬が奥さんを亡くしてぽっかり空いた透き間を埋めたんだなと思わせてくれたらもっとよかったかなと思いました。
「デフォーがあっさり殺されすぎじゃね?」
ジョンの暗殺を依頼された瞬間から、依頼を受けるふりをしてジョンを助けることを考えていたなら、デフォーはもっとそれがバレて自分が殺されることを考えて行動していないとおかしいなと思いました。家の前で囲まれたとき、デフォーがあまりに冷静なのでなにか策があるのかな、家に招き入れたら全員皆殺しにしてからジョンのところへ行くのかな、と思っていたらそうならず、あっさり捕まってあっさり殺されてしまったので、せっかくいいキャラクターだったのにもったいなさを感じました。
もしくは、デフォーはジョンの親友だけれど、仕事は仕事できっちりする非道な仕事人であったらどうか。ジョンが危ないときに助けていたけど、それはジョンを殺すのは自分でなければいけないと思っていたとか。ジョンを狙う暗殺者たちを綺麗に片づけてからジョンの前に現れて、これで邪魔はいなくなったから決着をつけようじゃないか、とか。それでジョンに殺されるならもっと情緒的になって、闇社会の男同士の友情を感じれたような気もします。
「ラストの盛り上がりが足りなくね?」
これが最も物足りないことなのですが、こういった最強の主人公ものに何が不可欠かって、同じくらいの実力を持つ男同士のガチンコバトルですよね。序盤、主人公は圧倒的に強くて危なげないのに、同じくらいの実力の敵が最後に現れて、ダメージを受けながらもギリギリで勝利する、それでこそ盛り上がる。でもジョンは割とよくピンチになる。それはそれでブランクを感じさせてよかった部分もあますが、だとしたら最後には完全復活を見せて欲しかった。
敵のボスは腕力というよりも悪賢さであそこまで上り詰めたタイプのように見えます。どう見てもジョンの敵でないように見える、だからジョンが負傷しているとはいえ、最後のガチンコバトルでもジョンが負ける気がしないのです。あれだけ闇社会で名前を知られているジョンなら、もっと変に恨みを持たれていて、ジョンが復活したなら俺に殺させろ!という同じくらいの実力の敵が出てきてもいいのかなと思いました。
映画の中のキャラクターでいうなら、やはりデフォーがジョンと同じくらい魅力のあるキャラクターなので、ラスボスはデフォーであるべきだったのかなと思います。一度退いた闇社会に再びカムバックしたはいいが、親友を自分の手で殺すという代償を負った。これはとても上がる展開じゃないかな、と考えた次第です。
まあ言いたい放題書きましたが、ジョン・ウィックが楽しい映画であることには変わりはありません。もしこうだったらどうか、と考えることも映画を楽しんだ証拠であると思っていただけたら幸いです。
それでは最後にみんなで叫びましょう「Yeah,I'm thinking I'back!」
2015年7月までに観た映画まとめ
2015年に公開された映画で、7月までに観たものを自分用にまとめてみました。例年に比べ少ないのでこれから追い上げようと思います。
タイトルと、一言感想を添えて紹介します。特におすすめしたいものには、タイトルの後ろに★をつけています。
1.96時間/レクイエム
「ありがとうリーアム・ニーソン、そしてさようなら」
「ブリーフマンはいい感じにイカれててよかったよね!」
2.シン・シティ/復讐の女神
「エヴァ・グリーン様つょい」
「ミッキー・ロークのマスコット感抱きしめたい」
3.ANNIE/アニー
「ジェイミー・フォックスのかわいさプライスレス」
「アニーがただ天真爛漫なわけじゃないのがよかった」
4.はじまりのうた ★
「ラファロの裸!ラファロの裸!」
「キーラを初めてかわいいと思った映画」
「ば、化け物…!」
「あまり褒める所がない」
6.フォックス・キャッチャー ★
「デュポンは化け物なのか凡人なのか」
「圧倒的な正しさ、がそう生きれない人を苦しめる」
7.アメリカン・スナイパー ★
「クーパーの目がどこを見ているか分からず怖い」
「ドキュメント調の中に突然あらわれるフィクション的な展開も燃えた」
8.アナベル/死霊館の人形 ★
「死霊館シリーズはもはや映画ではなくアトラクションである」
「アナベル人形欲しい」
9.ソロモンの偽証・前編
「とても刺さってきた。闘う子供たちの姿に泣いた」
「そのくせ後半を見てない」
10.イミテーション・ゲーム
「めっちゃ重い話なのに最後は爽やかにまとめてるのが凄い」
「コミュ障じゃないと決断できないことってあるよね」
11.イントゥ・ザ・ウッズ
「赤ずきんちゃんめっちゃかわいいアナ・ケンドリックつょい」
「あ〜ごに〜!!!」
12.バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ★
「長く感想書いたのでそちらをよろしくお願いします」
「とにかくつらい」
13.ジュピター
「ちょっと色々聞きたいことと言いたいことがあるのでそこに座って」
「テイタムの使い方が違うのではないか」
14.ラン・オールナイト ★
「じじいロマンスとはこのことか!!」
「リーアム・ニーソンの引き出し数知れず」
15.メイズ・ランナー ★
「見る前からディスる人の多さにびっくりする」
「ミンホ…ミンホ…ミンホ…」
16.リピーテッド
「徹夜してみようか?」
「コリン・ファースのセクシーさ全開、殺しにきてる」
17.チャッピー ★
「テンション」
「音楽と世界観が最高に最高」
18.ピッチ・パーフェクト
「glee劇場版って感じでゆるい気持ちで見れた」
「まさかのクリストファー・ミンツ・プラッセ」
19.エレファント・ソング ★
「グザビエ・ドランは人を惑わす悪い顔をしている」
「彼を愛していた、彼の望む愛し方ではなかったが、ってセリフいいよね」
20.海にかかる霧
「勘弁してくれ…!」
「ここまでの地獄絵図を見れる経験はなかなかない」
21.インヒアレント・ヴァイス
「私にはちょっとハード・ボイルドすぎた」
「パンケーキモットー!」
22.ハイヒールの男
「期待しすぎてしまった感じがあった」
「主人公を好き過ぎる奴がかわいかった」
23.アリスのままで ★
「ジュリアン・ムーア様の本気」
「アリスはどうするべきだったのか、何度も考える」
24.寄生獣
「染谷くんがいればここまでなんとかなるのか」
「頑張っているけどもうちょっと頑張れそう」
25.新宿スワン
「あと30分削ってくれ頼む」
「俳優に頼り過ぎているんじゃないだろうか」
26.マッド・マックス/怒りのデスロード ★
「始まった瞬間から泣きそうになるくらいの圧倒」
「神話であるがゆえに様々な解釈が生まれている」
27.悪党に粛正を
「マッツの人生ハードモードすぎ…つら…」
「エヴァ・グリーン様に頭打ち抜かれて死にたい」
28.アベンジャーズ/AoU ★
「私は好きだ!好きだぞ!」
「とにかくバナー博士はヒロイン」
29.Mr.タスク
「イカれたじじいが楽しそうなら私も楽しい」
「人間は本当はセイウチなんじゃないか?………は?」
30.ひつじのショーン
「どんなアニメなのか知らなかったけど楽しめた」
「これぞ大人から子供までアニメ」
31.バケモノの子
「時をかける少女よりはまだ…」
「キャラクターはいいけどセリフがとてもダサい」
32.インサイド・ヘッド ★
「とてもスマートでとても優しい話」
「カナシミとムカムカがかわいい。グッズが欲しい」
33. セッション
「今年暫定ベスト」
「マッドマックスな奴らはどこへ行くのか、何を掴むのか」
話題になっていたり、TLで評価の高い映画を軒並み見逃していることに改めて気づいて愕然としているところです。
DVDでなんとか追いついて下半期に備えようと思います!
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)感想
バードマン鑑賞してきました。前評判がとてもよく、期待値も高かったのですがとても楽しめました。テンポのいい話運びに個性豊かなキャラクターたち、それを更に勢いのある音楽とカメラワークで一気に見せてくれます。
普通に見ていても楽しい映画だったのですが、ほとんどの人がそうだったように、映画が終わった後に疑問が残りました。その疑問に関して、自分なりに思うところや考えることがあったのでまとめてみようと思います。
自分の考えをまとめるためのメモのようなものなのでネタバレ全開です。ラストにも触れています。まだご覧になっていない方はご覧になってから読んで頂くことを推奨します。重ねて、これは私の個人的な考えなので映画の解説ではありません。なので納得できない部分も多々あるかと思いますが、ご意見は優しい言葉で頂けるとありがたいです。
リーガン・トムソンの持っていた超能力は本物なのか。
リーガン・トムソンは一人でいるときしか超能力を使っていません。つまり、彼が本当に超能力を持っていたと証明するものは何もありません。
結論から言うと、私は超能力の有無は問題ではないと考えました。
プレビュー最終日、トムソンが煙草を吸うために扉の外へ出たら締め出されガウンが挟まれてしまうシーンがあります。彼は扉を叩き大声を出し助けを求めます。本当に超能力があるなら彼はここで何故扉を開けることができなかったのでしょうか。
このシーンだけでトムソンは超能力を持っていないと決めつけることは出来ないかもしれません。でも、彼の超能力がいざというとき全く役に立たないことは分かります。
また、彼が空を飛んで建物の屋上から劇場へ舞い戻るシーン。ここは空を飛ぶ彼を誰も見ていないこと、彼が本当はタクシーに乗って来たことが分かることから彼に空を飛ぶ能力はないと考えられます。
ならば、超能力は彼の妄想なのでしょうか。そうだったとしても、そうでなくても、誰の目に止まらない能力に意味はありません。トムソンが特別な能力を持っていたとしても、彼以外の誰もそれを知らないのでは無いのと同じです。
これはトムソンに限らず、この映画の中で話題になるヒーローたちも同じです。アイアンマンはどんなに素晴らしいスーツを持っていても、ソーは雷の神様であっても、キャプテンアメリカは超人類であっても、その存在を人々が認識しなければヒーローはいないのと同じなのです。
彼は自分の中にヒーローを持っていて今もヒーローであろうとしている。その気持ちが超能力として現れているという考え方もできると思います。ただ、やはり誰も彼の力に気付かないのなら無意味です。
ヒーローがヒーローであるためには彼らを求める大衆の目と声が必要です。それを失ったトムソン、バードマンは超能力の無有に限らずもはやヒーローではない。トムソンの持つ超能力はそれを表す役割なのではないかと考えました。
あのラストシーンの意味。
「銃を変えろ」と言うあからさまな伏線のセリフ通り、トムソンは舞台で本物の拳銃を自分に向け発砲します。そして、そこでこの映画が始まって初めてカットが切れます。意味ありげな風景が映し出され、映画はまたカットの前と同じように動き出します。
トムソンが放った銃弾は頭ではなく鼻を吹き飛ばしたに留まっていたことがここで分かります。彼は自殺に失敗したのか、それともわざと鼻を吹き飛ばしたのかそれは語られません。しかし、私はトムソンは自殺したのだと思っています。銃弾は彼の頭を貫き、トムソンは死んでいる。カットがかかったその瞬間バードマンの映画は終わっているのです。
ではトムソンが生きていたという病室のラストは何なのか。これは大衆が求めている物語のラストです。
私たちは映画が始まってからずっと喜劇として映画を見ています。そしてこの男がいくら駄目だと言っても、最後には劇を成功させ俳優として父として愛を取り戻すはずだとそう思っています。しかし、物語が進むにつれ話は観客が予想していたものとは違う方向へ向かいます。そして最後にはトムソンは誰の愛も得ることができないまま自暴自棄になって自殺します。
ここで観客の私たちに残るのは罪悪感です。最悪の悲劇を喜劇だと思い笑って見ていたこと、または現実でトムソンのような男を笑ったことのある罪悪感。ただ、映画自体には続きがあります。
トムソンが生きていて世間の関心を得て妻と娘の愛を得る。私たちの前に広がるのはまさに映画が始まって私たちがまず予想し求めたラストだったのではないでしょうか。中盤でバードマンがトムソンに囁く「観客が求めてるものを考えろ」というセリフもここにかかっています。しかしこのシーンには不自然な点もあります。
まず、大衆が悲しみの表情でロウソクに火を灯していること。新聞の見出しが映画のタイトルと同じなこと。娘がトムソンの好きな花を供えていること。鏡に映る彼の分身のバードマンが悲しげに俯いていること。周囲のこの行動から見て、やはりトムソンは既に死んでいると捉えることが出来ると思います。
トムソンが愛されなかった理由、それは彼がバードマンを捨てることができなかったからです。彼は舞台の上で自殺して初めて大衆と家族の愛を取り戻し、バードマンのお面を取ることができました。吹き飛ばした鼻を整形したため顔が変わっています。俳優の顔が変わるということはどう言う意味を持つでしょうか。トムソンは俳優であるリーガン・トムソンからも解き放たれたという意味だと思いました。
バードマン、トムソン、その二つから解放され外を眺めたとき、彼は初めて外の景色を見て清々しい気持ちになることが出来たのです。
見る人によって喜劇とでも悲劇とでも捉えられるこの映画は、主人公のトムソンにとっては最初から最後まで愛についての物語だったのだと思います。
マーク・ラファロという海2
11月22日は何の日か。私は今ここで問いかけたい。
否。
11月22日、それはマーク・ラファロがこの世に生を受けた世界で最も記念すべき日に他ならない。
マーク・ラファロ、その名前をあなたは既にご存知だろう。数多くの有名作品に出演している彼は洋画を愛する者なら知らずにいる方が難しいのではないだろうか。
ただ、日本では今でも知名度が低いのは事実。そこで、ラファロが誕生したこの聖なる日に今一度ラファロの魅力を再確認していきたいと思う。
マーク・ラファロの魅力その1「顔」
ラファロの魅力、それはなんと言ってもその顔である。イタリア人とフランス系カナダ人の血を引く両親から生まれたラファロは一言で表すのなら濃い顔をしている。
肉がついたりつかなかったりする顎に、丸く大きな目に、ぽってりと厚い唇。何時間でも眺めていられる。
さあみなさん今すぐお手元の端末でマーク・ラファロと検索して欲しい。そこに待っているのは最も天国に近い場所だ。
マーク・ラファロの魅力その2「体」
体、身体、表記は色々あるがラファロの場合は「肉体(からだ)」と表すのが一番ではないかと思う。ラファロの魅力はその肉体感にあるからだ。
以前、マーク・ラファロという海 でも書いたように、ラファロは決して万人に受ける容姿であるとは言えないのにも関わらずベッドシーンがやたらに多い俳優である。それは何故か。肉体が素晴らしいからだ。
筋肉質ではないがしっかりとした肉感に、年齢を重ねてやや油断の見える腰回りがなんとも言えないセクシーさを演出している。女性であれば誰でもその胸に顔を寄せて指に胸毛を絡めてみたいと思うのは仕方のないことだ。
ラファロの肉体を堪能したいと思うのなら、個人的には「キッズ・オールライト」のジュリアン・ムーアとのベッドシーンをお勧めしておく。
マーク・ラファロの魅力その3「演技」
私は演技については詳しくない。英語も分からないので海外の俳優の演技の上手い下手の判断はつかないが、数々の作品で多様な役を演じるラファロの演技は人を惹き付けると言って間違いはないだろう。
出演作品もシリアスなものからコメディ、アメコミのヒーローまで様々だ。そしてどの作品でも違う魅力で私たちを楽しませてくれる。
有名監督の作品の出演、またレオナルド・ディカプリオやトム・クルーズといった大物との共演が多いのも一つ挙げられる。人気を誇る主演俳優の隣で、名前は覚えられなくても作品全体をしっかりと支えている存在なのではないだろうか。
マーク・ラファロの魅力その3「ハート」
環境問題や政治に強く興味を持ち、活動を行っているラファロは稀に活動家としても紹介されている。「ノーマルハート」や「フォックスキャッチャー」また今後レイチェル・アダムスと共演する映画でも実在の事件を元にした社会派な作品に出演することからもその意識が伺える。
それ以外にも、作品のメイキングで見られるお茶目な姿や、twitterでファンへの感謝の言葉を動画でアップするファンを大切にする姿、またプレミアには妻と子供を連れて現れる家族を大切にしている姿など、挙げたらきりがない。
ラファロの魅力を書き続けていると延々に続いてしまうのでこの辺りで止めておく。
マーク・ラファロは私たちが還る場所、海である。前回の記事と合わせそのことを分かって頂けたら幸いと思う。
それではみなさん、最後に一緒に声に出して読んで頂きたい。
「ハッピーバースデイ、ラファロ」